07 Interview MASASHI OMURO
Part.1 産業医、大室正志が解く働く人たちの今
企業等において労働者の健康管理等を行う医師、産業医。メンタル面、フィジカル面において、働く人々がより良い働き方ができるよう、その道を誘導してくれる心強い先生である。今回、紹介する大室正志さんも日本の社会の未来を予測しながら、働く人々に寄り添い産業医として従事する1人だ。大室さんがホストを務める、経済トークバラエティ「OFFRECO.」を観ていると、さまざまな方向から世の中を俯瞰して観ていることがわかる。そこで産業医という職業について、また大室さんが思うこれからの社会や、アートや音楽などの芸術をどのように捉えているのか、さまざまな角度から話を聞いてみた。(Interviewer : KANA YOSHIOKA)
―― 産業医とは、どういう職業になるのでしょうか?
大室正志 例えばの話なんですけど、司法試験に受かると「弁護士になるんだ、おめでとう!」と大抵なりますよね。でも実は、全員が弁護士になるとは限らなくて、ほとんどは弁護士になりますが、裁判官や検察官になる人たちも数パーセントずつはいるんですね。つまり弁護士、裁判官、検察官は、同じ資格を持っていても違う職業になります。それと同じく、医師も医師免許をとった後にほとんどが内科や外科といった臨床医という職業になります。それと同じく、臨床医と産業医は、実は弁護士、裁判官、検察官くらい別の職業なんです。ただ検察官は公務員なので、他の仕事を兼任することはできません。だから副職はできないので、検察官を辞めてからでないと弁護士になれず、そういう弁護士はヤメ検と呼ばれたりします。産業医の場合は、ほとんどが普段は内科や精神科をやっている臨床医が兼任して請け負っていることが多いです。例えば月に1回だけ近所の会社で産業医をしている開業医の先生とか。ただ、僕の場合は産業医科大学という産業医を要請する大学を卒業していまして、その後に産業医の専門家を養成するコースを修了した後に専属産業医を経て、今は独立して産業医をやっているので、「何科ですか?」と聞かれると「産業医です」としか答えようがないんです。そういう意味では、自分は医者の中では少し珍しいキャリアかもしれません。
―― どんな内容のことを診察されていらっしゃるのでしょうか?
大室正志 臨床医というのは、まず身体の臓器で専門を分けていて、それを内科系と外科系に分けます。例えば心臓であれば循環器内科と心臓外科という風に。産業医はそういう括りはせずに、企業における安全衛生リスク低減のアドバイザーですから、そもそも括り方のコンセプトからして違うんです。例えば今だったら働く人々のコロナ対策、工場であれば有害化学物質の取り扱い対策などが産業医の仕事になります。そもそも産業医のルーツは古くは軍医にあると言われています。例えば戦争中に南の島で負傷したりマラリアにかかったりした場合、軍医はまだ戦えるのか、戦線離脱しそこに留まるべきかを判断しなければいけませんでした。これは簡単に言えば「働けるかどうか」を診ているんです。それが産業医のルーツなんですけど、戦争も終わり軍医が日本に戻ってきてから働く現場は、やはり同じく「過酷な場所」との相性が良い。ということで、その当時工場だったり炭鉱だったりしました。事故によるケガも多いし、結核など感染症の問題もありました。その後、結核薬が作られたり衛生状態が良くなってきた高度成長期に問題になったのが水俣病などの化学物質による健康被害でした。その後有害化学物質などにも法規制が整備された後には、産業医の主な仕事は生活習慣病対策に移行していきました。90年代後半になると、今度はメンタル不調が会社でも大きな問題として認識されるようになりました。つまり産業医のしていることは時代によって変化していくのです。ただし、企業における安全衛生リスクを担当するという意味では一貫しています。今なんかは、企業のコロナ対策だったり、社員が海外渡航する際に受ける予防接種は何かなど、要は企業が困っていることを産業医としてアドバイスしています。
―― コロナ時期は、企業内では皆さんどんな身体の不調を訴えていましたか?
大室正志 コロナ禍の生活が身体面でどう影響するのかは、今後の研究結果をみるべきですが少なくともメンタル面では影響があったなという現場感覚があります。アメリカですとバーンアウトという言葉が流行っていて、ミレニアム世代とZ世代、この二つの世代の大量離職が問題になっている。これは解雇ではなく、アメリカでは自主退職がすごく増えているという部分がポイントで、これはコロナ禍でのリモートワークが一因ではないかと言われています。TVを観ていると芸人さんがなんかがよく仕事をしていない人に対し「マジでくずやな!」と言うようなイジりのシーンをよく見かけますが、仕事をしていない人=クズを自明なものとして扱うのに私は違和感があります。確かに人類の歴史で考えると今までは「仕事をしていない=生存確率低下」ですので、仕事をしていない人=クズと考えるようにしておいた方が、生き延びる確率が高いという、ある種の「社会の知恵」だったのですが、それも今後どうなるかは分かりません。今、ルックス的なものに高い価値を見出し差別することは「ルッキズム」と言われ批判されていますが、同様の言葉で「ワーキズム」という言葉があって、それが何かというと、仕事をしていることが1番尊いことであって、仕事をしていない人を下に見る、そういう仕事至上主義のような価値観のことなんですけど、このワーキズム嫌悪みたいなことがミレニアム世代や、Z世代には多い。これはそれなりに食える時代になったということとセットなのかもしれませんけど。
―― 日本でも同じような現象があるのでしょうか?
大室正志 日本でいうところの目線で見ると、ワーキズム嫌悪とまでとはいかないですけど、昔のように年収の高低よりも、仕事における意味みたいなものを重視する人たちが多くなってきているのは確かですね。そんな時代にコロナ禍でリモートワークを行うとなると、仕事の意味を感じてもらうことに対して、新たな相当な工夫が必要になってきます。コロナ前だけでなくいつの時代もそうですけど、メンタル不調で1番多い原因は人間関係なんです。なので、緊急事態宣言になった“直後”には一瞬メンタル不調で休職をする人たちが減ったんです。何故かというと、リモートワークになったことでパワハラ上司と顔を合わせなくてもいいとか、人間関係のストレスが一時的に減ったように感じられたからです。後は、通勤で電車を3~4回乗り換えて通っていた人が身体的に楽になったとか、ストレスが抜けたとか、やっぱりフィジカルな疲れはメンタルにも相関性が高い。だけど反対に、リモートでストレスが増えたという方もいます。典型的な例だと「家は寝るだけ」と会社近くの狭いワンルームマンションに住む若手社員とかがいますよね。リモートワークだと、一転してその部屋が仕事をするにはすごく環境の悪い場所になってしまうんです。家族が同居していれば、話をしたりすることもできますけど、狭いワンルームマンションに1人で閉じ込められて長時間仕事をするのは精神的にしんどいし厳しい。若い社員の方の中では、そういうことを訴える人たちが多かったのも事実ですね。同時にリモートワークによって人間関係が希薄になったことがきつい、仕事は1人でコツコツやるのが自分には向いていないということに気付いた人も多いようです。今後仮にコロナが終息したとしても、多くの会社で完全出社には戻らないと思うんです。私はそういった「新しい働き方」を基本的には歓迎していますが、それは喜ばしい一方で、急な環境変化に対して心がすぐに適応できない方が必ず一定数は発生します。だから今はその過渡期なのではないでしょうか。
―― そのとき置かれる仕事の環境によって、働く人々が受けることはいいことも悪いことも様々ですね。産業医は、患者さんの話を聞くというのが診察になりますでしょうか?
大室正志 例えばの話ですけど、友人の女性が「旦那と別れようと思っている」と相談してきた場合、「いい弁護士を紹介するよ!」というのはコンサルティングです。一方、別れたい理由を聞いて否定をせず傾聴する、それによって相談者は心が楽になったり、自分で答えを見つけたりするというアプローチはカウンセリングになります。同じ「相談」といっても、この2つは全く違うものです。ただ産業医に相談しにくる社員は特にメンタル不調の場合に顕著ですが、カウンセリングを求めてやってきているのか、コンサルティングを求めてやってきているのか、本人も明確になってない場合が結構あるんです。クリニックの主治医は治療という意味でのコンサルティングはしますけど、基本的にはカウンセリングはしません。(一部例外あり)。ただ産業医は会社との契約にもよりますが、社員であれば時間さえ許せば、話しを聞いてほしいだけというカウンセリング的な利用も可能なことは可能です。また状況によって(叶うとは限りませんが)部署異動を提案してみたり、残業時間を減らすなど、労働環境自体に働きかけをするという意味でのコンサルティングはできます。なので産業医の役割は、コンサルティングとカウンセリングのチューニングみたいなところにあるのかもしれません。チューニングすることが産業医の役割でもありますね。
―― よりよく働くことができるような、道筋を考えるということですね。
大室正志 会社組織の在り方には大きく分けて、ジョブ型とメンバーシップ型というのがありまして、日本の多くの会社がメンバーシップ型なんです。このメンバーシップ型というのは「メンバー=仲間」という意味ですね。例えば、新卒一括採用で、どの学部の出身なのかあまり気にせず、ひとまず会社の「仲間」になってくれる人を採用するような会社がこれに当たります。まずは「仲間」を採用し、そこから各部署へ配置してローテションで人を回していく。一方のジョブ型というのは外資系に多い形ですね。経理であればファイナンスを勉強してきた人など、部署やそのポジションによって必要な経験やスキルが明確で、まずはポジションごとの職務要件を決め、そこに合った人を採用するというポジションありきの採用法です。だから中途採用割合が増えます。そんな会社の場合、隣に座っている方と自分が求められている職務内容も異なるし、職務の専門性が異なるので市場価値も違います。だから、年収も違うということを社員も当然のように受け入れます。一方でメンバー(=仲間)を取るメンバーシップ型の場合は、いくら市場価値が高い部署でもメンバー(=仲間)に年収差はつけにくい。その一方で部署異動はジョブ型雇用の会社よりは比較的しやすい。一方でジョブ型雇用の外資系だと経験がない人の部署異動はなかなかできない傾向があります。なので、産業医は「異動が望ましい」という意見書1つ書くにしても、この会社はジョブ型で動いているのか、メンバーシップ型で動いているのかを把握しておかないといけない。その会社のあり方や組織論などざっくりでも頭の中に入っていないと、産業医としてのアドバイスがトンチンカンになってしまうのです。
―― 確かに会社の方向性や方針がどうあるかで、働く人たちの仕事環境がどうなるのか決まってくると思います。
大室正志 日本では2018年に「働き方改革関連法案」が公布されましたが、そもそも働き方改革というのは、日本の労働人口が減る中で労働生産性を上げるにはどうすべきか、が起点です。多くの人に働いてもらうためには、過重労働を厭わない正社員とパートという極端な2分法ではなく全員に効率よく仕事を分けられた方が良い。だから働き方改革というと、長時間労働の削減というイメージですが、それは目的というより手段の1つに過ぎません。副業推進も同じですね。また、業務を切り分けやすいという意味ではジョブ型の方が相性が良い。仕事はユニット化して分解できた方がいいから、メンバーシップ型よりジョブ型の方がいいという考えも出てきているんです。なので、経産省や厚労省のHPの文書を読んでみると、国はこれから緩やかにジョブ型への移行を志向していると分かります。あと過重労働が多くなると子育て労働ができなくなるので、長時間労働を減らすことを標準にしておかないと皆が働けなくなるとか、できる人間は副業をしてもいいとか、そういった「今、社会の方向はこちらに進んでいる」という長期トレンドみたいなことは常に意識はしています。
―― 産業医は、社会の流れも考慮しながらバランスをよくしていくという役割もあるようですね。
大室正志 例えば健康法1つとっても、医師の中には、自らの信じる独自の健康法を提唱する先生もいらっしゃいますが、自分は結構保守的な方で、僕はそういったひとつの持論に肩入れするというよりは、エビデンスレベルに合わせ「信じ方」にグラデーションをつけて常に保留にしてある感じです。金融で言えば、分散投資型でバランスよくやりましょうという感じに近いです。このように俯瞰してバランスを考えるということは、産業医をするうえでも同じですね。